日常の体験や思ったことつづりどころ
Posted by Hawaii Okinawa Jazz Band - 2007.05.12,Sat
以前どこかで言いましたが、
わたしは、抜き差しならず何かを突き詰めている人を見ると、
感動し、釘付けになります。
何か盗みたくてウズウズします。
そういう意味で、
大学教授や研究者、職人、極めている職業人、芸術世界の人...が好きです。
でも理解力が人一倍薄い(若者語?)ことに気づいたので、
最近は本からではなく、
専らTVからその感動を得ています。
話し言葉、表情、声色...目で見る分情報量が多くて本より分かり易いです。
NHKで爆笑問題が研究者を訪ねる番組があります。
きょうは「惑星科学」の第一人者、井田さんが登場しました。
わたしは宇宙や地球のその成り立ちや仕組みとかに、人の心の中同様
とっても興味があります。
だからきょうの話はとても興奮しました。
(分かったのは半分くらいだけど。)
井田さんは「せかいのしくみ」を知りたくて、
この学問に行き着いたそうです。
「科学」の方が、哲学とか文学とか宗教より「共通言語」があると思って。
、で、そんななか、話の途中で太田光氏がフと
「たとえば哲学も、科学と一緒じゃないかなぁ」と言い切りました。
そこから彼の抽象的で独特なことばの説明が始まりました。
彼はよく面白い思考の破片を口にしていてとても刺激を受けるのですが、
ユニーク過ぎて、時々、脈略がなくなったり結論がふっ飛んだりする印象があります。
(もちろん彼の才に、いつも見とれます。)
今回は抽象的ながらもイメージは伝わってきました。
その器量がすごいと思います。
頭いいんですよ。(羨やましいなぁ。)
「さまざまな学問の、目指すところ、最終的に集まるところはいっしょ。」という
ようなことを言っていました。
(わたしの馬鹿な小さい頭と一緒にして恐縮ですが、
それはわたしが思っているイメージととても通じるところがあり、
”光さんもそう思ってるのかぁ”と感慨をおぼえました。)
すると、それを聴いていた井田さんは顔が止まっていました。
科学者として「理解不能」の表情を一瞬しました。
彼もそこは譲りたくないところだったらしく、
ものすごく言葉を選びながら、「科学者」としての哲学との違いを述べていました。
そのやりとりこそが”コミュニケーション”だなぁ、と思いました。
ひとつのことに秀でている為に、
既に考え尽くしているだろうということもあり、
自分と違う理論を持って来られた時の一瞬の拒絶の色が、
「学者」らしい気がして面白かったです。
秀でるということが、人間の度量や器量をも同時に拡げているいるとは限らない、
ということも同時に想いました。
わたしのこの日記こそ支離滅裂でごめんなさい。
わたしは、抜き差しならず何かを突き詰めている人を見ると、
感動し、釘付けになります。
何か盗みたくてウズウズします。
そういう意味で、
大学教授や研究者、職人、極めている職業人、芸術世界の人...が好きです。
でも理解力が人一倍薄い(若者語?)ことに気づいたので、
最近は本からではなく、
専らTVからその感動を得ています。
話し言葉、表情、声色...目で見る分情報量が多くて本より分かり易いです。
NHKで爆笑問題が研究者を訪ねる番組があります。
きょうは「惑星科学」の第一人者、井田さんが登場しました。
わたしは宇宙や地球のその成り立ちや仕組みとかに、人の心の中同様
とっても興味があります。
だからきょうの話はとても興奮しました。
(分かったのは半分くらいだけど。)
井田さんは「せかいのしくみ」を知りたくて、
この学問に行き着いたそうです。
「科学」の方が、哲学とか文学とか宗教より「共通言語」があると思って。
、で、そんななか、話の途中で太田光氏がフと
「たとえば哲学も、科学と一緒じゃないかなぁ」と言い切りました。
そこから彼の抽象的で独特なことばの説明が始まりました。
彼はよく面白い思考の破片を口にしていてとても刺激を受けるのですが、
ユニーク過ぎて、時々、脈略がなくなったり結論がふっ飛んだりする印象があります。
(もちろん彼の才に、いつも見とれます。)
今回は抽象的ながらもイメージは伝わってきました。
その器量がすごいと思います。
頭いいんですよ。(羨やましいなぁ。)
「さまざまな学問の、目指すところ、最終的に集まるところはいっしょ。」という
ようなことを言っていました。
(わたしの馬鹿な小さい頭と一緒にして恐縮ですが、
それはわたしが思っているイメージととても通じるところがあり、
”光さんもそう思ってるのかぁ”と感慨をおぼえました。)
すると、それを聴いていた井田さんは顔が止まっていました。
科学者として「理解不能」の表情を一瞬しました。
彼もそこは譲りたくないところだったらしく、
ものすごく言葉を選びながら、「科学者」としての哲学との違いを述べていました。
そのやりとりこそが”コミュニケーション”だなぁ、と思いました。
ひとつのことに秀でている為に、
既に考え尽くしているだろうということもあり、
自分と違う理論を持って来られた時の一瞬の拒絶の色が、
「学者」らしい気がして面白かったです。
秀でるということが、人間の度量や器量をも同時に拡げているいるとは限らない、
ということも同時に想いました。
わたしのこの日記こそ支離滅裂でごめんなさい。
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