日常の体験や思ったことつづりどころ
Posted by Hawaii Okinawa Jazz Band - 2007.08.05,Sun
はりさけそうではりさけないふりしたツンドラ
よびかけたけどこたえのないふりしたほんだら
思いたって背伸びんびん
月の裏が見たい
ここまできたら十億年たってもほんだら
むかしのしるしさがしてみたけどツンドラ
砂になった気持ちったら
水になった気持ちったら
替え歌・・清水靖晃
アルバム『PENTATONICA』より
幾つかのことについて書きたかったのですが、
このフレーズでそれに代えるほうがしっくりくる気がして。
:数分後追記:
でもちょっと書こうかな。
最近観たこと感じたこと散文的に。
7/27の日記にも書いた敬愛する画家、生・掘越千秋さんに先日逢った。
もう一度絵が観たくて画廊に行ったら当たり前のように居た。
氏のエッセイはここ数年の愛読書なので、他人の気がせず、
「よかったらお座りになりませんか。」の声と共に図々しく面と向かって座る。
「ーですぅ」とか「ーでぇ〜」という日本の姉ちゃんの喋り方が嫌いだと分かっていながら、そのことば遣い全開で氏と話す。
自分の「喋りことば」のバリエーションの少なさを実感する。
掘越さんは想像通り、大地のような人だった。
そしてどことなく品があった。
ミーハーな姿勢&足りない語彙炸裂のわたしの話しかけに、
それでも一回一回大笑いしながらワイワイ応えてくださる。
ウワサ通り声がデカい。低いいい声。
それ故、氏はフラメンコの唄、カンテの唄い手でもある。
「いつでも遊びに来なさい!いろんな奴ごろごろ居るから!ワッハッハ!」
と仰った。
わたしたちはアミーゴになりつつある。、と信じる。
・
楽しみにしていた昨晩の地元の花火大会に出向く元気がどうしても湧かず、
ベッドに寝転がりながら遠くに響く音だけを聴いていた。
次第に怖くなってきた。
発見したんだけど、あのドン!ドン!とお腹にくる大きい地響きは、
パニック発作の心臓の動悸によく似ていた。
一回一回全身を大きなうねりが脈打つあの感じ。
ゲンナリする。
なぜならここ数日また発作回数が増えていて、そればかりか、
もはや夜は眠るのではなく、目を開け景色を見る時間と化し、
頭が休まる(安まる)感覚を味わっていないから。
慣れてるし、べつに乗り越えられるけど、
こうやってグチもこぼしたくなるくらいにはガッカリ。
・
先日のカウンセリングの待ち合い室には、
珍しく、辛そうなのがはっきり分かる人達が大勢居た。
若い男の子も、中年社会人も、親子連れも、ガリガリ女性も、
心の中にゴウゴウと大きなものが渦巻いていて
それが外に出ないようにグッとこらえる表情をしていた。
辛さには絶対値がないと先日ここに書いたけど、
「あなたは弱くて、あなたは強い」とは、誰にも決められない。
ここに居る人たちは、社会生活が営みにくくも、
必死でそこに在り、生きている。
それが短期間で済む人、一瞬の人、末永く続く人..といろいろいる。
誰の心にも怠惰心や甘えはあるけれど、
ここに居る人達をそのひと言ではもちろん括れないと思う。
その姿を間近で目撃するとなおさら。
いまは自己の中でバランスをとることで精いっぱいで
そこになんにも「生産性」がないとしても、
やはり、社会(社会の人々)は、わたしたちを「使えない」と排除しないでほしい。
人口比率にいろいろなレベルの精神的疾患が増えている今だからこそ、
なおさらそう思う。願う。
・
夏の夜、お気に入りの緑ボウボウの細道を通ってツタヤへ行く。
どうでもいい部屋着のまま。ユラユラと。
いま、視界が狭くなっている分、
植物のエネルギーにとてもハッとする。
核爆弾が爆発したら、こんな美しいものやそれを感じるわたしたちも、
一瞬にして溶けるか吹き飛ばされるか放射能汚染されてしまうんだなぁ、と
『Pink』のゆみちゃんのように、ボンヤリ想った。
よびかけたけどこたえのないふりしたほんだら
思いたって背伸びんびん
月の裏が見たい
ここまできたら十億年たってもほんだら
むかしのしるしさがしてみたけどツンドラ
砂になった気持ちったら
水になった気持ちったら
替え歌・・清水靖晃
アルバム『PENTATONICA』より
幾つかのことについて書きたかったのですが、
このフレーズでそれに代えるほうがしっくりくる気がして。
:数分後追記:
でもちょっと書こうかな。
最近観たこと感じたこと散文的に。
7/27の日記にも書いた敬愛する画家、生・掘越千秋さんに先日逢った。
もう一度絵が観たくて画廊に行ったら当たり前のように居た。
氏のエッセイはここ数年の愛読書なので、他人の気がせず、
「よかったらお座りになりませんか。」の声と共に図々しく面と向かって座る。
「ーですぅ」とか「ーでぇ〜」という日本の姉ちゃんの喋り方が嫌いだと分かっていながら、そのことば遣い全開で氏と話す。
自分の「喋りことば」のバリエーションの少なさを実感する。
掘越さんは想像通り、大地のような人だった。
そしてどことなく品があった。
ミーハーな姿勢&足りない語彙炸裂のわたしの話しかけに、
それでも一回一回大笑いしながらワイワイ応えてくださる。
ウワサ通り声がデカい。低いいい声。
それ故、氏はフラメンコの唄、カンテの唄い手でもある。
「いつでも遊びに来なさい!いろんな奴ごろごろ居るから!ワッハッハ!」
と仰った。
わたしたちはアミーゴになりつつある。、と信じる。
・
楽しみにしていた昨晩の地元の花火大会に出向く元気がどうしても湧かず、
ベッドに寝転がりながら遠くに響く音だけを聴いていた。
次第に怖くなってきた。
発見したんだけど、あのドン!ドン!とお腹にくる大きい地響きは、
パニック発作の心臓の動悸によく似ていた。
一回一回全身を大きなうねりが脈打つあの感じ。
ゲンナリする。
なぜならここ数日また発作回数が増えていて、そればかりか、
もはや夜は眠るのではなく、目を開け景色を見る時間と化し、
頭が休まる(安まる)感覚を味わっていないから。
慣れてるし、べつに乗り越えられるけど、
こうやってグチもこぼしたくなるくらいにはガッカリ。
・
先日のカウンセリングの待ち合い室には、
珍しく、辛そうなのがはっきり分かる人達が大勢居た。
若い男の子も、中年社会人も、親子連れも、ガリガリ女性も、
心の中にゴウゴウと大きなものが渦巻いていて
それが外に出ないようにグッとこらえる表情をしていた。
辛さには絶対値がないと先日ここに書いたけど、
「あなたは弱くて、あなたは強い」とは、誰にも決められない。
ここに居る人たちは、社会生活が営みにくくも、
必死でそこに在り、生きている。
それが短期間で済む人、一瞬の人、末永く続く人..といろいろいる。
誰の心にも怠惰心や甘えはあるけれど、
ここに居る人達をそのひと言ではもちろん括れないと思う。
その姿を間近で目撃するとなおさら。
いまは自己の中でバランスをとることで精いっぱいで
そこになんにも「生産性」がないとしても、
やはり、社会(社会の人々)は、わたしたちを「使えない」と排除しないでほしい。
人口比率にいろいろなレベルの精神的疾患が増えている今だからこそ、
なおさらそう思う。願う。
・
夏の夜、お気に入りの緑ボウボウの細道を通ってツタヤへ行く。
どうでもいい部屋着のまま。ユラユラと。
いま、視界が狭くなっている分、
植物のエネルギーにとてもハッとする。
核爆弾が爆発したら、こんな美しいものやそれを感じるわたしたちも、
一瞬にして溶けるか吹き飛ばされるか放射能汚染されてしまうんだなぁ、と
『Pink』のゆみちゃんのように、ボンヤリ想った。
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