日常の体験や思ったことつづりどころ
Posted by Hawaii Okinawa Jazz Band - 2006.11.08,Wed
そこは400年前に開湯され、
”日本三秘湯”のひとつだそうです。
十和田湖、奥入瀬を北上して車で1時間ぐらいだったかな。
大ザッパに言うと、八甲田山のすそ野のブナ林の山中にあります。
小さな木造の建物でした。
でも今は、湯治用に近代的な部屋が建て増しされていて、
なんだったら食事もあるし、
とても便利な空間になっています。
ちなみに「一人で伺ったらおいくらですか。」と聞いたら、
「時期にもよるけど、素泊まり4350円。食事付き7500円。」だそうです。
湯治、って意外と高いのですね。。。
泉質すぐ忘れてしまうのですが、
薄白くて、滑らかで、柔らかかった。
(でも上がった後、皮膚の弱いところがちょっとピリピリしていました)
ぬる〜いので数十分浸かっていられます。
仕上げは、隣りの熱めのお湯に入ります。
じわじわと身体がいつまでも温かいです。
建物、お湯どちらも私は相性が良く、
居心地がとてもよかった。
写真は、建物のすぐ脇を少し登ったところにある湧き泉。
イワナが泳いでました。
冷たくて澄んでいた。
食堂でたべたイワナの塩焼き定食には笑ってしまいました(おいしくて)!
話は少し跳びますが、
私の父は、故郷が青森寄りの岩手県で、
祖父母が亡くなる10年前まで 家族で毎年のように遊びに行っていました。
まことに身内の話になるのですが、
実家は当時漁を生業としていて、
家長である伯父は、家では常に酔っぱらい、
でっかい声で父(これまた酒癖悪し)とだいたい最後には喧嘩していました。
そんなわけで、
私は東北人も東北弁も忌み嫌っていました。
(単に、酔っ払いと大声が嫌いなだけなのですが、
ずっとそれしか見なかった為、東北のイメージがそのように固まってしまった。)
でも今回の旅で変わりました。
東北嫌いの私が、父の実家以外の目的で
東北に行ったのは今回が初めてでした。
人々の、その愛すべきアバウトさ。
(大好きな沖縄の人々のそれにも負けないと思いました。)
なんていうか、(いちおう)お客である私達を送迎する人々が、
へりくだってないんですよ。
そのまま。
東北弁そのままでゆっくり話す。
大切に扱ってくれる。
焦ってない。急いでない。
谷地温泉もそうでしたが、
観光客毎日押し寄せるのに、
その対処法が決まってないんです(笑)。
毎回、「あらあら!」って感じでその場しのぎなの。
商売っけがないというか。
だから、行くこちら側もゆっくり落ち着きを取り戻せるんです。
の〜んびり、イワナ定食やヨーグルトを食べていられる。
そして、小さい頃から聴いていた(年たった数日でしたが)東北弁が、
沁み込んでくるんですよ、身体に、心に。
父の母と、分からないなりに一生懸命話した子どもの頃の、
あの感覚が蘇ってきました。
私のルーツでもある東北を、
大切に、そして愛おしく思えるようになった旅でした。
へばな。
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Posted by Hawaii Okinawa Jazz Band - 2006.11.06,Mon
ねねねねむい。
旅行の最中いくら普通に寝ていたとしても、
帰宅すると、どっと眠くなりませんか。
たまたま休職中の私はまだボケボケしていて、
頭がまだ日常生活時間で働いていません。
でもひとつ思い出せること。
それは青森でバス送迎中に見た、
りんごの木。
紅いりんごと
ほんのり薄い緑色の葉っぱ。
もちろん一個一個、一枚一枚微妙に色が異なっていて、
合わせて目に映る全体の その色。
何種類の絵の具を遣えばこれに近付けるのだろう。
というくらいいろんな”色”がとけ込んだりんごの木。
今回の旅行で一番印象に残る色でした。
知らなかった。
いつも食べてるりんごの木があんなにきれいなものだなんて。
↓オマケ画像は、爽やかで美味しかった奥入瀬地ビール

旅行の最中いくら普通に寝ていたとしても、
帰宅すると、どっと眠くなりませんか。
たまたま休職中の私はまだボケボケしていて、
頭がまだ日常生活時間で働いていません。
でもひとつ思い出せること。
それは青森でバス送迎中に見た、
りんごの木。
紅いりんごと
ほんのり薄い緑色の葉っぱ。
もちろん一個一個、一枚一枚微妙に色が異なっていて、
合わせて目に映る全体の その色。
何種類の絵の具を遣えばこれに近付けるのだろう。
というくらいいろんな”色”がとけ込んだりんごの木。
今回の旅行で一番印象に残る色でした。
知らなかった。
いつも食べてるりんごの木があんなにきれいなものだなんて。
↓オマケ画像は、爽やかで美味しかった奥入瀬地ビール
Posted by Hawaii Okinawa Jazz Band - 2006.11.05,Sun
画像は十和田湖の遊覧船からみた景色と湖畔の落ち葉。
旅から無事戻りましたが、その話はまた追々。
昨晩、旅先のホテルで夜中、Coccoのライブを見つけました。
(BS放送。多分今年の夏の武道館のかな。)
話しをするCoccoを初めて観ました。
雑誌でインタビューを読んだことはあったけれど、
ほんとに、あの通り、変な、独特な話し方なんですね!
変な子だ〜!!
可愛い!
ブラウンカン越しだというのに、
そのエネルギーは凄まじく、
度々、
大地のように、また、畏れ多いもののように、
人間じゃないもののように見えました。
そんななか、今回の旅の相方である母は、
隣りでいつものように5歳児のようにフガフガ寝てました。
食い入るように観てしまったので、
頭は回転し始めてしまい、眠れないし、
”今眠っているこのホテルの向かいには深さ360mの十和田湖が
シンと鎮まりかえってそこにある”と思うと増々、怖くなって、
(だってあの静けさの気配といったら!)、
ウトウトして朧げにみる夢はすべて悪夢でした。トホホ。
夜の、水辺、杜ってどうしてあんなにこわいのだろう。
でもそこに魅かれる。
そして、話は変わりますが、
現在少なくとも東京で流れている”KUMON”のCM。
あれ、見ると、わたし、心が一瞬とまります。
あのピアノの流れるような繰り返すようなリズムのなかに、
次々と映り消える、子どもの表情と、モノクロの風景(首都高の車の流れとか、滝、林・・・)。
誰がつくったのだろう。
そして、余談ですが、あのCMの子ども達はもしかしたらモデルさんかもしれないけれど、
本物のくもんの子ども達もあれくらいいい表情をしているんですよ。
去年の今頃、少しだけバイトしてて、
いつも、その子ども達の顔に見とれていました。
Posted by Hawaii Okinawa Jazz Band - 2006.11.01,Wed
Posted by Hawaii Okinawa Jazz Band - 2006.10.31,Tue
此処に書くべきことではないかも知れない。
いま脳が停止していてわからない。
穴。
穴がポッカリと開きました。
私は、友人、親戚を含め、
身近な人を亡くした経験が殆どありません。
しかも、自ら命を絶った人はいませんでした。
去る9月11日、
私の最愛の友人であり師匠のひとりでもある方が
天に召されていました。
私にとっては、
毛色の変わったすごく魅力的な大人の女性でした。
シャネルのサングラスをして、
デザインの第一級の仕事をし、
最近はその人柄から、教育の世界でも活躍していました。
清水の次郎長の流れをくむ、
まっとうな組の、愛娘だった彼女。
曲がったこと、ヤクザなことが大嫌いでした。
私はいつか彼女のことを、
つたないながらも自分の作品に書かせてもらおうと思っていました。
8月の鬼怒川の勉強会で再会したばかりだったのに。
そのときも、彼女は以前のままで、
私の下らない深刻ぶった悩み事を
朝方の4時ごろまで、
「うんうん」といって聴いてくれた後、
スッパリバッサリ彼女らしく解釈してくれました。
そして私もスッパリサッパリしました。
彼女とたまたま話していなければ、
私はその時抱えていた「山」を超えることは難しかったと
今でも思います。
その時の会話で、彼女は、
フランスに住む準備を旦那さんと進めていることや、
その為に洗礼を受けたこと、
愛する自分の学生達について、
ガン手術を通しての健康の大切さについて、
「もう、カウンセリングの勉強はいいや。」ということなど、
歯切れ良く目の前に見えることのように話していました。
キラキラしていて
前に進む瞳だった。
この人は大丈夫。
この手で触れるかのように、周りへの愛が溢れている人でした。
貴重な魂が、
もう少しこちらの世界にいてほしかった魂が、
逝ってしまった。
ご冥福をお祈りすると共に、
これからは違う形で繋がれるよう、
祈りをこめて、
この日記を彼女に捧げます。
どうか今は満ち足りた気持ちで幸せでいますように。
あなたの元に溢れるほどのいい香りの花花をお送りします。
ようこ
いま脳が停止していてわからない。
穴。
穴がポッカリと開きました。
私は、友人、親戚を含め、
身近な人を亡くした経験が殆どありません。
しかも、自ら命を絶った人はいませんでした。
去る9月11日、
私の最愛の友人であり師匠のひとりでもある方が
天に召されていました。
私にとっては、
毛色の変わったすごく魅力的な大人の女性でした。
シャネルのサングラスをして、
デザインの第一級の仕事をし、
最近はその人柄から、教育の世界でも活躍していました。
清水の次郎長の流れをくむ、
まっとうな組の、愛娘だった彼女。
曲がったこと、ヤクザなことが大嫌いでした。
私はいつか彼女のことを、
つたないながらも自分の作品に書かせてもらおうと思っていました。
8月の鬼怒川の勉強会で再会したばかりだったのに。
そのときも、彼女は以前のままで、
私の下らない深刻ぶった悩み事を
朝方の4時ごろまで、
「うんうん」といって聴いてくれた後、
スッパリバッサリ彼女らしく解釈してくれました。
そして私もスッパリサッパリしました。
彼女とたまたま話していなければ、
私はその時抱えていた「山」を超えることは難しかったと
今でも思います。
その時の会話で、彼女は、
フランスに住む準備を旦那さんと進めていることや、
その為に洗礼を受けたこと、
愛する自分の学生達について、
ガン手術を通しての健康の大切さについて、
「もう、カウンセリングの勉強はいいや。」ということなど、
歯切れ良く目の前に見えることのように話していました。
キラキラしていて
前に進む瞳だった。
この人は大丈夫。
この手で触れるかのように、周りへの愛が溢れている人でした。
貴重な魂が、
もう少しこちらの世界にいてほしかった魂が、
逝ってしまった。
ご冥福をお祈りすると共に、
これからは違う形で繋がれるよう、
祈りをこめて、
この日記を彼女に捧げます。
どうか今は満ち足りた気持ちで幸せでいますように。
あなたの元に溢れるほどのいい香りの花花をお送りします。
ようこ
Posted by Hawaii Okinawa Jazz Band - 2006.10.28,Sat
初めて幽霊をみました、夢で。
いつものことなのですが、またリアルだったので、
ここにメモさせてください。
お風呂入らないのがいけないんだよな、多分。。。。。
〜〜〜〜〜 〜〜〜〜〜 〜〜〜〜〜 〜〜〜〜〜
友人のお見舞いに行くが、着いたのが夜中で、
私は彼女のベッドの隅っこで眠らせてもらいました。
右肩をずっとトントントントン軽く叩かれてました。
気味悪く目を醒ますと、看護士さんなんです。
「皆さんが、あなたが誰か分からなくて怖がっています。」
と言うのです。薄暗い中言うのです。
で、同室の皆さんが全員起きて(しつこいけど薄暗い中)
私を見ているので、寝ぼけながらも自己紹介しました。
でも、明らかに居づらさと違和感を感じた私は帰ります。
部屋を出ると、そこは卒業した中学校の廊下でした。
真っ暗な中、怖いのでダッシュで階段を駆け降ります。
やっと2階まできたところで空気が歪みます。
急いでいるのに、スローモーションでしか動けません。
で、階段の途中とか踊り場とかロッカーの横に、
うつむいた学生服の幽霊達がポツンポツンと立っています。
”幽霊って色が薄いんだぁ”
すごく怖いのに冷静に観察する私がいました。
みんなグレーとか茶色だった。
で、お決まりのパターンで、
玄関のドアは開きませんでした。
そこへひとりの女子の幽霊が
ウワ〜っと私目指して階段を下ってきました。
そこでこの世界に目が覚めました。
〜〜〜〜〜 〜〜〜〜〜 〜〜〜〜〜 〜〜〜〜〜
あーこわかった。
それで、いま、これをパソくんで打ちながら
首を右へ回転させたら、
ちょうど部屋の照明のスイッチがあるんですが、
そこに真っ黒い指の跡がいっぱいついてるんだよ〜。
わたしか?!
ずっと引きこもってたのに?!
謎は深まりますが、
深く考えずポジティブパワーで祓います・笑。
追記・
暗い話題だったのでお口直しにどうぞ。「レインボーローズ」だそうです。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20061028i505.htm
いつものことなのですが、またリアルだったので、
ここにメモさせてください。
お風呂入らないのがいけないんだよな、多分。。。。。
〜〜〜〜〜 〜〜〜〜〜 〜〜〜〜〜 〜〜〜〜〜
友人のお見舞いに行くが、着いたのが夜中で、
私は彼女のベッドの隅っこで眠らせてもらいました。
右肩をずっとトントントントン軽く叩かれてました。
気味悪く目を醒ますと、看護士さんなんです。
「皆さんが、あなたが誰か分からなくて怖がっています。」
と言うのです。薄暗い中言うのです。
で、同室の皆さんが全員起きて(しつこいけど薄暗い中)
私を見ているので、寝ぼけながらも自己紹介しました。
でも、明らかに居づらさと違和感を感じた私は帰ります。
部屋を出ると、そこは卒業した中学校の廊下でした。
真っ暗な中、怖いのでダッシュで階段を駆け降ります。
やっと2階まできたところで空気が歪みます。
急いでいるのに、スローモーションでしか動けません。
で、階段の途中とか踊り場とかロッカーの横に、
うつむいた学生服の幽霊達がポツンポツンと立っています。
”幽霊って色が薄いんだぁ”
すごく怖いのに冷静に観察する私がいました。
みんなグレーとか茶色だった。
で、お決まりのパターンで、
玄関のドアは開きませんでした。
そこへひとりの女子の幽霊が
ウワ〜っと私目指して階段を下ってきました。
そこでこの世界に目が覚めました。
〜〜〜〜〜 〜〜〜〜〜 〜〜〜〜〜 〜〜〜〜〜
あーこわかった。
それで、いま、これをパソくんで打ちながら
首を右へ回転させたら、
ちょうど部屋の照明のスイッチがあるんですが、
そこに真っ黒い指の跡がいっぱいついてるんだよ〜。
わたしか?!
ずっと引きこもってたのに?!
謎は深まりますが、
深く考えずポジティブパワーで祓います・笑。
追記・
暗い話題だったのでお口直しにどうぞ。「レインボーローズ」だそうです。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20061028i505.htm
Posted by Hawaii Okinawa Jazz Band - 2006.10.23,Mon
いやでも憶えてしまった家があります。
夢の中で繰り返し出てくる”私の家”です。
旧い日本家屋で、
1階、2階、というふうに部屋同士がきれいに仕切られていません。
中2階もあるし、中地下もある。
3階建てくらいの気配。
私はそこの住人ですが、
ちょうど、
家半分分の部屋をまだ見たことがありません。
「どんな部屋なんだろう。
そっちに自分の部屋を移そうかな。」
と、思いながら、早数回。
結局、まだ一度も家の残り半分を見に行っていません。
この夢、あまりに繰り返し見過ぎて、
目が覚めると一瞬混乱します。
どちらが本当の世界か、と。
夢の中で繰り返し出てくる”私の家”です。
旧い日本家屋で、
1階、2階、というふうに部屋同士がきれいに仕切られていません。
中2階もあるし、中地下もある。
3階建てくらいの気配。
私はそこの住人ですが、
ちょうど、
家半分分の部屋をまだ見たことがありません。
「どんな部屋なんだろう。
そっちに自分の部屋を移そうかな。」
と、思いながら、早数回。
結局、まだ一度も家の残り半分を見に行っていません。
この夢、あまりに繰り返し見過ぎて、
目が覚めると一瞬混乱します。
どちらが本当の世界か、と。
Posted by Hawaii Okinawa Jazz Band - 2006.10.07,Sat
わたしは音楽がないと生きていけませんが、
聴くジャンルにひどく偏りがあり、
歌詞のある曲には例外を除いてほとんど近寄りません。
なかでも特に”ロック”なんていうと、
「は?」という感じで
聴かないし興味もありません。
”ポップス”(?)も。
でも、
今は少しちがいます。
吉井和哉さんと
浅井健一さんと
槇原敬之さん。
縁あって彼等の唄を何度も聴いた。
うるさくて大嫌いでした。
最初は。
でも聴き込んでいって
その詩の深さ、
切実さ、
愛おしさ、
狂おしさ、
ロマンティックさ
に衝撃でした。
あの感性。
惚れます。
すごい。
それを知れて嬉しい。
そして彼等が少し年上なことも嬉しい。
だって目指す、憧れる”先輩”がいるってことは大きいもの。
聴くジャンルにひどく偏りがあり、
歌詞のある曲には例外を除いてほとんど近寄りません。
なかでも特に”ロック”なんていうと、
「は?」という感じで
聴かないし興味もありません。
”ポップス”(?)も。
でも、
今は少しちがいます。
吉井和哉さんと
浅井健一さんと
槇原敬之さん。
縁あって彼等の唄を何度も聴いた。
うるさくて大嫌いでした。
最初は。
でも聴き込んでいって
その詩の深さ、
切実さ、
愛おしさ、
狂おしさ、
ロマンティックさ
に衝撃でした。
あの感性。
惚れます。
すごい。
それを知れて嬉しい。
そして彼等が少し年上なことも嬉しい。
だって目指す、憧れる”先輩”がいるってことは大きいもの。
Posted by Hawaii Okinawa Jazz Band - 2006.10.02,Mon
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