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日常の体験や思ったことつづりどころ
Posted by - 2024.10.06,Sun
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Posted by Hawaii Okinawa Jazz Band - 2007.07.12,Thu
20歳で消えるものと思っていた命(小さいころからなぜか確信していた)が、
どうやら消えないらしく
大人になり、社会と係わって生きてゆかなくてはならない、と
気付き始めたころから。

自然と
ご縁や繋がり、タイミング、巡り合わせや、かみさま、たましいなどと
つなげながら、物事を考えるようになっていた。

特定の宗教の、ではない。
内からわき上がってくる感動や感覚が自然とそうさせた。

これは前置き。

..... ..... .....
昨日友人と久しぶりに電話で話していた。

わたしのことを想ってくれているがゆえに厳しいことも時に言ってくれる。
わたしはビビリながら聴く。

少し前、
近頃の、わたしのある行いについての話題で、
思うところがお互いどうしてもすれ違い、納得がゆかないまま会話を終わらせた。
そしてわたしは彼女を避けた。
(彼女が言ってくれていることが痛いほど分かるのだが、心がどうしても受け容れなかったのだ。)

その日以来の会話だった。

わたしの心も移り変わっていたので、
先日止まったままの会話がその先へ進んだ。


彼女が最後のほうでフと口にしたことば。

「ほんとうに、ほんとうに、縁があるならば、またいっしょに居られる時が来るよ。」




待っていた。

わたしはそのことばを誰かから待っていたのだと、痛いほど思った。


先日日記に書いた、フジコ・ヘミングのバーン・スタインへの想いを聴いてから、
頑ななわたしの心が満を持して動きはじめるのを感じた。

そして、密かに掴んだお守りのようなことば、思い込みではないことばがこれだった。
「繋がりがある人とはまた何処かで逢える」
それでわたしは安心して、
どうしても離したくないものを一度、この手から手放すことを決められた。

厳しいことも言ってくれた友人が、
それをはっきりと穏やかにこれ以上なく澄んだ声色で言ってくれたことで、
このわたしの今回の「手放し」は完成したんだと思う。

電話越しに流れたふたりの間の不思議な密度ある空気にジンときた。

なぜなら彼女こそ、重い「手放し」を経験しているからだ。
彼女が行き着いた砦も同じだったんだ.....。


「この子はほんとに友達だ。」

とても心動いた経験だった。



(会話の内容を説明していないので、これを読んでいる方は意味不明かも知れませんね。
察し易い内容かとも思いますが、説明は控えます。おゆるしを。)
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Posted by Hawaii Okinawa Jazz Band - 2007.07.09,Mon
夜、母が、近所からいただいた畑の収穫野菜をテーブルの上に広げていた。

キュウリ、でっかいシシトウみたいの、サヤインゲン、大きい房の豆。

ぜんぶ、みどり色だった。
でも4つとも全然違う色だった。

ただただ濁っているわたしにはそれらがシャワーのように眩しく見えた。
なんて映えたいい色なんだろう。
「生き物」の色だと思った。
しばし見入って動けなくなった。

・・・・・ ・・・・・
NHKスペシャル『和賀山塊』を観た。

秋田県と岩手県(うろ覚え)の県境に広がる広大な山塊。
白神山地とは違い、ブナだけでなくさまざまな木々が息づいている。

カメラはその中の巨樹と、四季をひたすら追う。

「歩いて三日間」とか「山あいから半日程歩いたところ」に、
樹齢600年や800年の樹が存在している。

でかいそれは、もはや「木」というよりは「岩」のようで、
天に向かってスッと伸びているのではなく、地を這うようなかたちをしていた。
命を削り、四季と戦った跡を見せながら、まだ其処に生きている。もしくは朽ち果てている。

かみさまだなぁと思う。


14歳の時に知り合いのまたぎに連れられて初めて山に入り、
以来一度も迷うことなく山を巡り続ける64歳の男性が登場した。

研究や調査という視点ではなく、単に魅かれて登り続けている人。
巨樹の移り変わりを克明に憶えている。
変化にもすぐに気づいていた。

山に愛された人。


樹齢百年にもなるのに、親である巨樹に陽を遮られ、直径6センチ・長さ1メートルにしか育っていない子どもの木があった。
男性が見つけた何十年も前から姿は変わっていないという。

巨樹(しいては寿命を過ぎている)は、必死で自分の居場所を守り、陽を受けようとし、雪から逃れようとしていた。


山塊を航空カメラで辿ると、
延々とモリモリモリモリみどりの塊。


なぜかこういうものを見ると立ち尽くしてしまう。
そして、尊敬する堀越千秋さんのことばをかりるならば、
「大地の恵みを受け、ワハハと笑って死に絶えてしまいたい」と思う。


入りたい。
その山へ入りたい。


わたしは、トイレがない地帯へ行くとそれだけで精神不安定になるし、
水を思いきりつかえないと不自由だと感じるし、
手がベタベタしたままなのは嫌だし、
虫は嫌いだし、
農家の嫁入りだって考えられない、
というシティガールだが、
その山へ入りたい。

この感覚と日常をうまく繋げることができないかな、と最近思う。
歩み寄り。



敬愛する友人のひとりに「山人」が居る。
彼女はいつもこんな景色を観ているのかと思うと愕然とする。
何度か、初心者向けの山登りの計画をもらったのに、
結局わたしはいつも、不自由なのが嫌で断った。

テントで寝て、ゴミを出さないようにして、人間が居ないところで真っ暗な中眠るのが嫌だったのだ。あと余りにも美しいものを観てしまうことへの恐怖。
求めていたのに、実行を拒み続けた。


そろそろ動けるといいな。
Posted by Hawaii Okinawa Jazz Band - 2007.06.17,Sun
わたしは「うつ」を理由にして生きたくはない。

この個性(この言い方いまいちピンとこないけど。)と、どう折り合いをつけて
人生愉しむか。

それがテーマっす。


逢えない友達、ドタキャンを繰り返してしまった人々...。
申し訳ない。
もう少し、あと少しだけ待ってね。
Posted by Hawaii Okinawa Jazz Band - 2007.05.18,Fri
(溺れているふたりを同時に助けることはできませんよね...。
そのフレーズばかりが頭の中を舞う今日この頃。)←本文とは関係ありません。




この世に万能な薬はありません。
同様に万能な民間療法も、精神療法も、スピリチュアルセラピーもありません。

保険がきこうときこまいと、万能な”くすりのようなもの”はこの世にないんですね。

だからって、それらがないことが、なにかをしないことの理由にはなりません。

...と遅まきながらも、思考の欠片が集まって、わたしに言いました。


まだまだ断片的なのですが、
自身の”うつ観”がここのところ、ガランゴロンと回転を始めています。


:追記:

ドラマ『すいか』をとうとう観終わってしまいました。
ひと夏終わった気分です。

観ていて気づいたわたしの今回の隠れテーマは「響一くん」でした。
あと、片桐はいり。


そして、本当の夏がもうすぐはじまります。
Posted by Hawaii Okinawa Jazz Band - 2007.05.13,Sun
まったくもって眠れないので、起きました。

この夜のことを書きます。

夜は意外とあっという間。
1時2時はまだ昨日の続きのような気がしてもの想う。
3時半も過ぎれば朝の気配が漂ってきます。
そして、しばしボーッとしていると世界は蒼白く変化しています。
うちの近所では、そのころ一度鳥達がいっせいに鳴きます。

この蒼い時間帯は、目に映るものすべてを美しく見せてくれます。
カーテン越しに届く淡い光は、肌をきめ細かく宝物のように照らしてくれます。
その暗めの濃淡に見とれます。






:夕方追記:

きょうは川上弘美さんの『ニシノユキヒコの恋と冒険』を読んでいました。
彼女の物語は救いがないなかフととてもいい世界を見せてくれる。
その空気、気配が好きです。
呼吸が楽になる。
わたしにとっては、よしもとばななさんの作品と同じ効用。


目の前の公園で遊ぶ子ども達は
いい加減うるさい時もあるけど、ある意味で本当に天真爛漫。
その声にはほんとうに救われる。


:さらに追記:

『ニシノユキヒコ...』を読んで喚起され結実したひとつの仮説。

わたしはもしかしたら男に生まれたらよかったかも知れない。

女の人は男性よりも、度量・器量・許容量・前へ進むエネルギー・混沌をも包み込む心・意味に重点を置かずに赦す心、が大きいから。
(これはわたしの個人的な経験による偏見です。)

その女の良さを多くを、多分わたしはもっていない。

わたしが男だったら、ダメ男だけど、
おっかさん魂旺盛な女性が見ていられず愛してくれたかも知れない。
今頃子どもに囲まれて幸せに忙しくしていたかも知れない。

それは100%幻想です。

って分かっているけど。


”ほんとうのところでは人を愛せてない。寄せつけない”。

なんで知ってるの?
ニシノユキヒコが他人とは思えなかった。
不幸だったのか幸せだったのか、それは誰にも分からない。
でもわたしもニシノさんだ。
Posted by Hawaii Okinawa Jazz Band - 2007.05.12,Sat
以前どこかで言いましたが、
わたしは、抜き差しならず何かを突き詰めている人を見ると、
感動し、釘付けになります。
何か盗みたくてウズウズします。

そういう意味で、
大学教授や研究者、職人、極めている職業人、芸術世界の人...が好きです。

でも理解力が人一倍薄い(若者語?)ことに気づいたので、
最近は本からではなく、
専らTVからその感動を得ています。
話し言葉、表情、声色...目で見る分情報量が多くて本より分かり易いです。


NHKで爆笑問題が研究者を訪ねる番組があります。

きょうは「惑星科学」の第一人者、井田さんが登場しました。

わたしは宇宙や地球のその成り立ちや仕組みとかに、人の心の中同様
とっても興味があります。

だからきょうの話はとても興奮しました。
(分かったのは半分くらいだけど。)

井田さんは「せかいのしくみ」を知りたくて、
この学問に行き着いたそうです。
「科学」の方が、哲学とか文学とか宗教より「共通言語」があると思って。

、で、そんななか、話の途中で太田光氏がフと
「たとえば哲学も、科学と一緒じゃないかなぁ」と言い切りました。

そこから彼の抽象的で独特なことばの説明が始まりました。
彼はよく面白い思考の破片を口にしていてとても刺激を受けるのですが、
ユニーク過ぎて、時々、脈略がなくなったり結論がふっ飛んだりする印象があります。
(もちろん彼の才に、いつも見とれます。)

今回は抽象的ながらもイメージは伝わってきました。
その器量がすごいと思います。
頭いいんですよ。(羨やましいなぁ。)

「さまざまな学問の、目指すところ、最終的に集まるところはいっしょ。」という
ようなことを言っていました。
(わたしの馬鹿な小さい頭と一緒にして恐縮ですが、
それはわたしが思っているイメージととても通じるところがあり、
”光さんもそう思ってるのかぁ”と感慨をおぼえました。)

すると、それを聴いていた井田さんは顔が止まっていました。
科学者として「理解不能」の表情を一瞬しました。
彼もそこは譲りたくないところだったらしく、
ものすごく言葉を選びながら、「科学者」としての哲学との違いを述べていました。

そのやりとりこそが”コミュニケーション”だなぁ、と思いました。

ひとつのことに秀でている為に、
既に考え尽くしているだろうということもあり、
自分と違う理論を持って来られた時の一瞬の拒絶の色が、
「学者」らしい気がして面白かったです。

秀でるということが、人間の度量や器量をも同時に拡げているいるとは限らない、
ということも同時に想いました。

わたしのこの日記こそ支離滅裂でごめんなさい。
Posted by Hawaii Okinawa Jazz Band - 2007.04.30,Mon
マイブーム話のオンパレードです。
お時間があったら読んでください。




うちの近所のヘボツタヤにも
懐かしいドラマ『すいか』のDVDを発見しました。

一日一話観ています。

毎回心がほぐれます。

下宿式アパート「ハピネス三茶」のお話です。
登場人物が大すきです。

自身の分身を見ているようで、
自分の殻にもいっしょにヒビが入っていくようです。





ここ数日両親が旅行に出ていました。

家事で動くのはとってもたのしい。(料理以外。)
洗濯物が乾いていくのはうれしい。
たたむのもうれしい。
雨戸を開けるのも閉めるのもたのしい。
洗い物も、ゴミ出しもうれしい。





母親の代わりに、というと言い方が変ですが、
近所の祖母の家にも頻繁に顔を出しました。

子どものころいい子だったわたしはいま不良なので、
祖母好みの人間ではありません。
引け目があって逢いづらいです。

でも久々に連続して逢っていたら
人見知りがとれて自然に笑顔が出るようになりました。

思えば、祖母の愛は変わっていません。
わたしが怖がっていただけなんだなぁ、と思いました。





あしたはある意味ひとつの結論が出る日です。
自分で決めたことです。
でも恐いです。
あした。立ち尽くしてないといいなぁ。
Posted by Hawaii Okinawa Jazz Band - 2007.04.28,Sat
半端な夢ばかりみて眠れないので
あきらめて起き上がった朝方3:15。

カーテン越しに外を見たら、
まだ暗いし、起きている気配の家もないし、
さみしくなって水をガブガブ飲んでいます。

ずっと聴きたくて、
でもうまく聴けなかった『FISHMANS』を初めて聴いています。

...と、
鳥の声が聴こえるので、
フィッシュマンってこんな曲もあるのかぁと思いつつ、
顔を上げると、

いつの間にか、朝が来ていました。

最近、朝の光を観ると無性に安心します。



きょうは
友人の作品展を覗きに行くか、
木場の現代美術館に気になる絵を観に行くか、
ツタヤに『すいか』をかりに行くか、
はたまたなにもしないか(笑)どんな一日になるのかな。


みなさますてきな一日を
Posted by Hawaii Okinawa Jazz Band - 2007.04.23,Mon
今晩は曇りですね。(東京)


『彼女をみればわかること』という映画をご存じですか。
ロドリコ・ガルシア監督。

舞台はLAです。
女性たちの物語です。

わたしはこの映画が大好きです。
繰り返し観る大切な映画です。

晴れ過ぎて、空気が乾き過ぎて(想像です)、
青い色合いの画面がだいすきです。
カメラの動きも、
人の動きも、
表情も、
ほんとうにすきです。


わたしはなぜか南米文学に興味があり、
ぜんぜん詳しくはないのですが、
不条理な、幻想的な物語が多い気がして、それが肌に馴染みます。
よしもとばななの小説と同じく、
わたしにとっては、ごくごくと飲む水のような感触です。

この監督は、
『百年の孤独』のガルシア・マルケスの息子さんだそうで、
あの物語を尊いと感じるわたしにとっては尚更感慨深い作品です。
(でもまだ『百年...』を完読したことはないんですけどね...笑)


きょうフと思い立ちまた観ました。
また感動しました。
Posted by Hawaii Okinawa Jazz Band - 2007.04.22,Sun
きのうの詩人会を観て、

わたしは小さい頃、通訳になりたかったことを思い出しました。

いつの間にやらこんな歳になっていたなぁ。




話はずれますが、
昨日生で聴いた、
心のこもった中国語・フランス語・英語は、
(よく言われていることかも知れませんが)まるで音楽の調べのようで、
ほんとうに美しかった。

日本語は、ことばの意味・表現は多様性がありうつくしいと思いますが、
母国語としない人が、「音」としてきいたらどんな印象なのでしょうね。




そしてまったく別の話ですが。

知りませんでしたが、
宮城まり子さんと吉行淳之介さんは生涯の恋人だったのですね。

甘い物が好きなお二人。

すてきな組み合わせですね。




そしてさらに別の話ですが。

わたしはもし生まれ変わったら
シロナガスクジラになりたいです。

海のドキュメンタリーを観てそう思いました。

なぜかって、
シロナガスクジラは体長10mもある巨大な生き物なのに、
その生態・繁殖方法...まだほとんど解明されていないんですって。
そしていま絶滅の危機に面していう。

だからです。
自分で味わってみたいから。

マッコウクジラになって、
1000mの深海に潜るのにも魅かれますが。


...そのころにはもう絶滅しているのかな。
(あ、人間もそうかな。)
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